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卒業生Aさんの声
僕がこの塾に入ったのは、中2の冬期講習からです。
一人っ子だったせいもあると思いますが、母は教育にはとても熱心でした。中学受験させようと4年から大手の進学塾に行っていましたが、僕は本を読んだり、(特に歴史)動植物図鑑を見ている方が好きでした。母の機嫌がわるくなるのが嫌で、塾には行っていましたが、ほとんど聞いていませんでした。
中学受験は見事に落ちました。
これで塾から解放だ!遊ぶぞ!という期待はわずか1週間でした。
新たな進学塾の申し込みをして、ニコニコ顔で僕の部屋に入って母を見た時、僕の夢は露と消えました。
全ての科目を受けていたのですが、数学と英語の2科が散々な点数でした。
両親とのけんかの原因はいつも僕の成績です。
そんなある日、母の友達が翔英塾の事を話したのです。でも名もなき小さな塾を信じる母ではありません。
塾を体験して先生が「数学は小学校からやり直し!数字の面白さが分かっていない。英語はbe動詞病にかかっている。」 その頃の僕は何でも~ですとあれば、I am play You are study とBE動詞と一般動詞を並べていました。
先生は26文字しかないのだから、日本語より簡単簡単(先生に言われると本当に簡単そうに思うのです)勉強の束縛から解放してくださり、学ぶという面白さを教えてくださいました。僕は希望の高校に合格し、京大の法学部にも現役合格しました。その時も一浪して他の大学の法科を受けようかと悩んでいて、相談したら、先生が、お友達の弁護士の先生に電話をかけて下さり、「1年浪人するのだったら、その分を1年留年して留学したら」と助言されたそうです。
今、僕は検事になる事が出来ました。もし、中2に先生との出会いがなければこの職に付けたかどうか分かりません。

卒業生Bさんの声
私が塾に通い始めたのは、大学受験の3か月前でした。それまで、部活とアルバイトで毎日忙しく、受験勉強など全く考えていませんでした。
しかもそれまでは、テスト勉強くらいしかしたことがなかったので、勉強方法が全く分からず、受験まで後3か月しかないのに基礎もできていませんでした。
そんな絶望的な状態であったにもかかわらず、先生は快く受験勉強指導をひきうけてくれました。とにかく時間がなかったので、先生の「週に何回塾に来られる?」の質問に「毎日来ます!」とわらをもつかむ思いで答え、その日から毎日塾に通いました。
先生は私にあったレベル・進行スピードで、基礎から教えてくれました。
分からないところがあったら、完全に分かるまで気兼ねなく聞けて、時には勉強以外の雑談をしたり、お茶の時間があったり(私はこの時間が一番好きでした)
一般的に言う「塾」とは違う雰囲気で、居心地の良さがあり、毎日(土日も)通うことに苦痛を感じませんでした。
丁度その時期(冬季講習前)に、先生は手術の為、入院されたのです。
急に無理に頼んだ私の為に、わざわざ大部屋から個室に変えて、手術日以外毎日、教えて下さいました。手術の痛みもあるのに、そこまでしてくれた先生の情熱は今でも忘れられません。
そうして、毎日少しずつ積み重ねていったので、基礎もできていなかった私は、誰もが絶対に3か月の勉強量では受からないだろうと言っていた、大学に見事合格することができました。とても嬉しくて、先生と一緒に泣きました。私がここまで勉強できたのも先生がいつも力になってくれ、常にそばで支えていてくれたからだと思います。
今は心理カウンセラーを目指して、大学院に通う事が決まりました。大学院受験に合格できたのは、翔英塾で自分なりの勉強方法を見つけることができていたおかげです。
大げさかもしれませんが、あの時先生に出会えていなければ、今の私はなかったと思います。先生にはとても感謝しています。自分の力で、しっかりと人生を歩いて行ける強さを、受験前のあの3か月で体験できたと思っています。